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科学(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) bumboola
 

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科学(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

科学

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科学(かがく、英: science )という語は文脈に応じて多様な意味をもつが、おおむね以下のような意味で用いられている。

     知識や経験の総称としての(広義の)科学

「科学」という語はラテン語scientia (知識)に由来する。science という語は、17世紀の科学革命のころまでは、体系化された知識経験の総称という意味で用いられてきた。なかでも、観察や実験に基づく体系的な学問という意味では、natural philosophy自然哲学)やexperimental philosophy (実験哲学)の語が用いられていた。今日でも「科学」の語は、自然科学人文科学社会科学の総称としてしばしば用いられる。

人類は太古の昔から、自分たちをとりまく自然界の現象や自身の人体の構造について関心を抱き続けてきた。歴史上、古代オリエント、古代インド、古代中国をはじめとするさまざまな文明圏において、これらの関心対象を説明するための知識や経験が蓄積され、学問として体系化されていった[1][2][3]古代に形成された学問の諸体系のなかでも後世に大きな影響力を残したのが古代ギリシア古代ローマの自然哲学である。中世においてはイスラム科学が最も先進的な地位を占めていた。後進ぎみだったヨーロッパは、イスラム諸国から科学や技術を輸入し、長い年月をかけて追いついた歴史がある[4]

しかしこれら古代から中世にかけての諸学問は、客観性や論理的な推論の過程を重視する学問的態度を伴ったものではなかった。すなわち、今日の自然科学が不可欠の要件としている態度である論理実証主義を欠いていたのである。例えば中世の大学での講義では、現実の観察結果が古典に書かれた内容と異なるものであれば、古典のテクストが正しいとされていた。

20世紀の歴史学者ハーバート・バターフィールドは、17世紀ヨーロッパにおいて、自然現象を単に眺めて考察するという状態から一歩進んで、自然法則が作用する環境をさまざまな撹乱要因を取り除いて人為的に作り出す試み、すなわち実験冒険)という手法を採用して、実証的に知識体系を進歩させていくという知的営為が形成されたとする。バターフィールドはこれを「科学革命」と名付け、人類史上における一大画期であるとして高い評価を与えた

        (狭義、及び最狭義) 科学の方法/ 科学的方法に基づく学問としての科学/ 自然科学と科学技術/ 科学の方法論

          科学の方法

よく、科学は物事の起こる理由を説明するものという風に説明されるが、これは間違いではないにせよ、筋道としては正しくない。世の中に見られる現象は、一見不思議なことは数多い。これがなぜかを知りたくなるのであるが、直接にそれを誰かに尋ねることで答えを得るのは難しい。聞かれた方がわからないから、適当に答えたのが神話の発祥かもしれない。

それに対して、こうすればこうなる、といった事象を集めることから、原因と結果を探してゆくのが科学的方法である。言いかえれば、究極的な目的である'なぜ'(Why)を一端棚上げにして、まずいかなる状態で、どのような(How)現象が起きているのかを記述するとこと、どのような条件下で何が起きるかを記録し、それに基づいて因果関係を分析しようとするのが科学である。そのような情報をかき集めて、一定な条件を集めれば特定の結果が得られることを示せるならば、重要な結果を得たと言えようし、その間の科学的説明ができるならば、科学の発展にそれなりの貢献ができたと言えよう。

その意味で、帰納法こそが科学の原点である。

          科学的方法に基づく学問としての科学

科学革命の時代以降、科学的方法が次第に形成され、科学の具体的な方法論・手法・記述法などについて、各分野の科学がその対象の性質に応じてふさわしいものを地道に発達させてきた。ただしどのような方法なら科学的と見なせるのかという境界線は必ずしも明らかなわけではなく、科学者らは議論を重ねてきた歴史があり、現在でも議論は続けられている。

数世紀におよぶ議論は混沌としていたが、20世紀前半の科学哲学カール・ポパー反証可能性の概念を提示し、それを条件とすることで理論が科学(彼が考える狭義の科学)に属するかそうでないかを線引きできることを示してみせた。混沌とした議論に悩まされ続けていた科学者らの中には反証可能性の概念や反証主義をひとつの解決策として歓迎する人が多かった。現在でも、これを科学と擬似科学とを区分する基準として採用する人は多い[6][7]

ただしこうしたポパーの科学観に対しては1960年代から批判が加えられるようになった。その代表は科学史家トーマス・クーンパラダイム論である。パラダイム論によれば、観察は、データを受動的に知覚するだけの行為ではなく、パラダイムすなわち特定の見方・考え方に基づいて事象を能動的に意味付ける行為である。従って、パラダイムそのものは個別の観察によって反証されるのではなく、別のパラダイムの登場によって「パラダイムシフト」の形で覆される。

また、科学に属する諸学問は科学であるが、科学そのものは科学的ではなく一種の思想であるとする意見もある。分類可能性と予測可能性は厳格なカオスを除いては一体不可分であり、もとより科学は過去の知見を元に未来を予測する性向を強く持つ。このため「科学的」でさえあれば未来の予測は正しいとの確信を招きがちである。このような確信は、論理の前提とすべき命題の不知、確率的現象やカオスの存在によりしばしば裏切られる。

          自然科学と科学技術

19世紀後半以降、science という語は狭義において「自然科学」の意味で用いられるようになった。今日では、多くの局面において「科学」と言えば暗黙裡に「自然科学」を指していることも多い。自然科学は、自然の成り立ちやあり方を理解し、説明・記述しようとする学問の総称である。物理学化学生物学などの理学と呼ばれる分野と、医学農学工学などの応用科学と呼ばれる分野とを含んでいる。なお、今日では便宜上、19世紀以前の自然哲学の諸研究も、自然科学の一部として分類し扱っている。

この背景として、第1に、自然科学においては科学的方法を適用しやすい点があげられる。ただし、科学的方法が適用可能なのは自然科学のみとは限らない。また、一般的には数学は自然科学の一分野として認識されることが多いが、現代の数学は公理を前提とした演繹手続きとして定式化されており、実験や観察を伴わないことから、科学には含まれないとする見方もある。

第2に、産業革命以降、自然科学の一部が技術と結びついた点があげられる。歴史的には、科学は自然の探求として科学者によって担われ、技術は生活の利便を向上させるものとして職人階層によって担われてきた。しかし産業革命以降、自然科学の知識と手法を応用することで、技術は科学技術へと進化し、工業生産性の向上、公衆衛生水準の向上、そして軍事上の優位など、社会に対して巨大な実用的利益をもたらした。同時に、技術進歩のニーズによって科学研究も大いに刺激を受けた。

第一次世界大戦第二次世界大戦では、科学者は国家によって動員され、化学兵器核兵器の開発によって戦争の帰趨に影響を与えた。戦後、科学技術政策は国家政策においても重要な要素として取り込まれている。また科学技術の一層の進歩により、科学は社会から遊離した純粋な知的営為として位置づけることは困難となっている。

          日本語における「科学」

「科学」という語は、中国では、科挙で試される学問「科挙之学」の略語として10世紀頃から使われていた。日本では、「科学」は様々な学問(分科の学)という意味で用いられていたが、明治時代science という語が入ってきた際、啓蒙思想家の西周がこれを様々な学問の集まりであると解釈し、その訳語として「科学」を当てた[8]。当初は「科學」と旧字で表記されていたが、新字体の採用により「科学」と書くことになり、現在に至っている。

中国においても、用語に若干の違いはあるものの、science の訳語として「科学」が使われるている。

 

 
 

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